教育の成果は『時間』や『量』が解決してくれるが・・・
先日、ある高校の校長先生が「教育の効用には『成果』(進学先など近い将来に結果が出るもの)と『効果』(遠い将来にわたって影響をもたらすもの)があり、この2つのバランスが非常に大切である。」とおっしゃっていました。
近年、教育業界を取り巻く状況は、少し『成果』主義に重心が傾いているように言われています。
塾や学校の教育機関が○○大学□名合格という成果を面前に押し出し、それをもってその教育機関の値打ちとする『成果』主義に傾くと、教育における『効果』が軽視される危険性があるように思われます。
しかし、生徒ひとり一人を考えると『成果』主義は悪いものではないように思われます。
大きな目標達成という『成果』を得るためには乗り越えなければならない壁がいくつもあり、それは物理的なものではなく、精神的なものである場合が多いのです。
極端に言うならば、○○大学に合格するために必要とされる知識の量は決まっていて、それを習得するための最良の手順も決まっています。
また、キャリアのある先生から見れば、生徒の能力を測ることもでき、その生徒が○○大学に合格するためには、いつどのように受験勉強をしてゆけばよいのかというマニュアルを作ることは理論上は不可能ではありません。
しかし、勉強し受験を乗り越えなければならないのは『ロボット』ではないのです。『人間』なのです。
理屈だけでは解決できないのです。
十九世紀ドイツの哲学者ニーチェの言葉に
『人生について考えるのは暇なときだけにせよ』
というものがあります。
これは
「何かに打ち込んでいる人は自分に迷わないし、たじろがない。
今すべき勉強や仕事によって心と人格が鍛錬され、ブレない自分がつくりあげられる。
反対に、打ち込めていない人は、今対峙していることがうまくいかず現実から逃避したい気持ちがあるから、人生(学生の場合は進学先など)を考えているフリをしている。
だから、『没頭すべきこと』に打ち込むことが成長への最善の策である。」
という意味です。
そして注目すべきは、ニーチェのような偉大な哲学者さえ、言葉として残すほど『没頭する』ことは難しいのです。言い換えれば、『没頭する力』を身につければ、人間として相当強くなったということです。
だから、大志学園は目標達成という『成果』を得るために、いつどのように何をするかを指導することは大切ですが、どのような気持ちで物事に向き合うべきかを考え実行する力、つまり『心を整理する力』を指導することも併せて大切であると考えています。
また、これによって将来の『効果』を得させてあげたいと考えています。